❤幸せになりたい人の話❤

 

起きたら17時だった。今日は15時間くらい寝た。

幸せな夢を見た気がして、「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」を思い出しながら現実と理想の乖離に苦しんだ。

 

「今日も鬱モードなんだって」第三者からこそこそ言われてるような錯覚をして自分を自分でなだめる。

当落が昨日出た、全滅して、気分が沈んで、ニートで予定がないことを後ろ盾に酒を飲んで訳が分からなくなっていた人の話。映画を見た気がするから後で履歴を見よう。

昨日を把握する履歴が残っている現実も、柔らかいところを抉る。

卓上の500mmの空き缶数本とメモ用紙に書かれた解読難解のポエム、記憶にないこれらをゴミ袋に詰め込んで、昨日の生を実感した。

 

一言で言うと、あれだけあったモチベが全くなくなってしまって、「さよならどうか元気で!」の完全な賢者タイム

 

熱中するものがなくなると、逃げる様に毎回幸せになりたいと言っている。ツイートに残っていた「普通に幸せになりたい」。

幸せをこんなにも享受したがっているのに、今いる場所から動けなくてどこにも行けないのが私だから、私の人生は「幸せになりたい」を願いながら終わるだろうな。難解を極める、前後左右って感じの人生。

 

幸せになりたい!幸せってなんだろう、幸せの象徴の鍋がしたい!

鍋なんて、唾液の交換でキスと同等。ひどく汚くて、濃厚で、厭な交流。

美味という快楽で酔わせた身にしか為せない行為であるようにも思われるし、ともすれば、親しさというしがらみのようにも思われる。幸せを確かめ合う行為にはいつも、 それが纏わりつく。前後左右の降臨、再来、再開、再会。

 

先日のアウトデラックスを思い出す。自担小島くんの歌詞センス、文章センスを目の当たりにして尊敬する一方で病んでいたことも思い出した。

思い返すと、私が彼を好きになったきっかけは、まいジャニで披露した「バイクお兄さん(正式名称忘れた)」と 名言塾でオチを作りに行く姿勢 だった気がする。そもそも佐野担だった。

 

「人生の幸せを願う」のに「ジャニオタ」って、思想が相反しすぎていていっそウケるのだけど、どうしようもなくて安い涙がでる。この「どうしようもない」を言語化できたら、でもできないから、ダメ、結局どこにもいけない。

小島くんが今日もアイドルをしてくれていることに感謝して自分の気持ち悪さを見つめなおす時間が一番生きていると実感できる。安い生である。

 

夢を一生見ていたいから、〇〇に頼って感覚をバグらせて、クラゲみたいに生きていたい。言葉は文字にすると感情を上書きしてしまうから、一生分からないままでいたい、〇〇。でも好きな人の笑顔は私の〇〇を簡単に塗りつぶしてしまう、どうかしている。夢は描いた分消えてなくなってしまうから、描きたくない。どこにもいけないから理由も作れない。明るい時間にしか本は読めないのに、明るい時間に起きると鬱になるから起きれない。世界がバグってる。夢からは血が出てる。当落ごときで病んで、薄っぺらい言葉の羅列で満足する低レベルな脳みそをバグらせないと、割れちゃう。 一人でどこにも行けなければ、どこにも帰れない。帰りたい。

 

アイドルは宗教だから、信仰している限り私のこの陰鬱はそのうち吹きとんでいってくれる。春を待つ。明るい時間に本を読めるようになるまで、「本当に」幸せだらけの世界になるまで。